今日もママに合掌。

死にたいと言った私は生き、言わなかった兄は生きるのを辞めてしまった

time 2016/07/21

最終更新日:2016/10/27

死にたいと言った私は生き、言わなかった兄は生きるのを辞めてしまった

自分の詳しいプロフィールを書こう。
と思ったものの、書けば書く程自分と言うものがわからなくなってきた川北ベッソンですこんにちは。
なので先に、家族の話を少し。

父は典型的な頑固親父で体育会系

父はとても優しい人間ですが、厳しい人です。
高校時代はスキー競技の国体選手であり、今は少年野球の監督を20年続けています。

私と自殺した1番上の兄は、父が監督を務める少年野球チームに入っていました。
チームとしての成績は大変優秀でした。
練習内容はとても厳しく、小学生の頃の思い出は野球の事しか記憶にありません。

監督である父親に指導されるというのはそれなりに特殊で、練習中に怒鳴られる、叩かれる、やる気がないとグランドから蹴り出されるなんて事は当たり前の日常でした。

父親として接する時間よりも、監督として接する時間の方が圧倒的に多かった幼少期。
その感覚は大人になってからも消えませんでした。

野球をやらなかった姉との感覚の違い

姉はよく
駅まで送ってとか
ついでにコレも買ってきてよとか
私と兄には考えられないほど気軽に父と接していました。

兄とふたりで、姉は凄いね。と話した事もあります。

でもそれが普通ですよね。
普通の親子関係です。

私と兄は
こんな事を監督に頼めるわけが無い
選手と監督という、絶対的な上下関係。
監督としての姿がいつまでも消えなかった。

父はとても熱い人間です。
怖い存在ではありましたが、自分が困った時には必ず助けてくれるだろうという、絶対的な信頼はありました。
極端な物の言い方をするけど、言っている事は確かに正しい。
そう思える父親でした。

中学3年から高校時代の大きな反抗期

中学3年の夏が過ぎ、部活が終わって進路の事で親と揉め、もう高校なんて行かないと反抗し不登校になりました。
死にたいと思いながら毎日を過ごしました。

子どもをどう育てたいか考える前に、自分の育ってきた環境を振り返ってみる


結局は、適当に決めた高校に進学。
しかし高校時代は仲の良い友人の家に居候状態になり、ほとんど家に帰りませんでした。
厳しい家庭だった我が家ではあり得ない、不良娘だったと思います。

ですが私の大きな反抗を、父も母もしっかりと受け止めてくれました。

私の中でその時に、監督から父親という認識にかわった気がします。
この人は監督ではない。
自分の父親なんだ、と。

今は私も子どもを生み、親に対しては感謝しかありません。

兄にとっては一生監督のままだった父親

兄は産まれてから28歳で自殺をするまで、一度も親に反抗した事がありません。
真面目で良い子という訳ではありませんが、親に対して暴言を吐いたり、意見したり、喧嘩になったのを見た事がないんです。

兄は父を尊敬していました。
でも兄の性格は、父に似ていませんでした。

強く、男らしく、白黒はっきりさせる、正義感の強い父親の姿を追い続け、
気が弱く、びびりで、だらしない自分をダメな人間だ。と兄は思っていた気がします。

こうでなくてはならない。
こう考えるのが正しい。

そうやって育てられてきて、そうなろうと努力した兄は、できない自分が嫌になって自殺したのかも知れません。

そんな事はない。
私は自分で考えて自分で生きていく。
そう思った私はこれでもかと言う程に反抗した事で、生き伸びたのかも知れません。

私の人生と精神を変えた兄という人間の出来事

反抗期は自分自身を作り上げる大切な過程

同じ考えの人間なんていませんよね。
それは親と子でも同じです

親にこうだと教えられても、来るべき時がきたら
違う。そうじゃない。
と、反抗するべきなんです。

反抗する事ができない程の恐怖心を、幼少期に与える事をしてはいけません。
恐怖心から言う事を聞かせる事をしてはいけないと思います。

兄は父とは違い柔軟な考えの持ち主で、争い事が嫌いで、納得行かない事があっても、コミュニケーションで乗り切る。
そんなタイプだったでしょう。

でも、兄の中では

はっきり物を言えない自分はなんて弱いんだろう。
臆病で、だらしない自分はダメな人間だ。

そう感じていたのではないかと思います。

世界中どこにも、同じ人間なんていません。
強い人もいれば、弱い人もいる。
はっきり悪いと言う人もいれば、丸く収めようとする人もいる。

色んなタイプの人がいるから、成り立っていますね。

兄は自分の事が嫌いだったのかも知れません。
でも、家族も友達もみんな、兄を慕っていました。
陽気で、おもしろくて、本当に友人の多い兄でした。
父だって、自分とは違う兄の事を認めていたと思います。

でも父の気持ちが兄に伝わらなかったのは、幼少期に受けた恐怖のイメージ
のせいだったのではないか。と思います。

伝わってはいたものの幼少期にこうあるべきと強く教えられてきた事が原因で、兄自信が自分を認める事ができなかったのかも知れません。

死んでからあれこれ考えたって生き返ったりしない

私たちは仲のいい家族でした。
父に対しての恐怖心は信頼でカバーしていた様な感覚です。

でも、心の片隅にはいつも、恐怖心があった事を自覚しています。

幼少期の恐怖心というのは、それくらい、簡単には拭えないものだったんだと思っています。

立派に親に反抗した私でも、父に本当に自分の意見を言えるようになったのは
兄が自殺してからでした。

それも、言えるようになった
のではなく、言わなくてはならない。

そう思うようになったからです。

兄が死んだ事で、家族全員がいろんな事を考えるようになりました。
私はその答えのひとつとして
意識的に、意見を言うように改善していったのです。

でも、大切な家族を失ってからでは遅過ぎました。
子どものうちに親に反抗し、自分というものを確立する必要があったんだと思います。

自分を認めて自分の人生を始めたら良い

自分とは違う人間である親の教えに従うという事は、
自分で自分の考えや人格を否定する事の繰り返しになります。

反抗する事で自分と言うものを確立し、認め、自分自身の人生が始まる。
そう思うんです。

私は今子育てをしていますが、毎日子どもを相手にしていると、自分の未熟さや悪い所が浮き彫りになるんです。
自分の悪いところ、弱いところ、こう育てられたせいだ、と思ってしまうようなところは、親が自分に与えた試練であり、自分が生きているうちに乗り越えるべき課題だと思い私は生きています。

親も人間ですからね。完璧な訳がないんです。

親から受け継いでしまった悪い所も、育て方のせいで植えつけられた考え方や恐怖心も、今の自分がどう思うか。重要なのはそれだけです。
親のせいにしてはいけない。

親を責めたくはないし、責めたところで時間は戻せないんです。
幼少期に戻って育てなおしてもらうなんて事もできない。

先に進もうと思うのなら、今自分でやるしかないんです。

成長する以外に道はないんです。
たとえ親とは違っても、人とは違っても、自分は自分なんだ。
自分自身を認める事から、自分の人生はスタートするんだと思います。

今小さなお子さんを育てている方。
子どもの反抗期に悩まされている方。
親に反抗できないまま大人になった方。
そんな方にこの記事が少しでも参考になればと思います。合掌。

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自己紹介

川北ベッソン

川北ベッソン

心理学オタクの川北ベッソンはいつもママの味方。 ガサツな神経質。 マイペースで頑固。 日々の家事育児をこなす偉大なママに、敬意を込めて合掌を。                     ☆★☆イイネ!と思える記事があればSNS等でシェアして頂けると、跳ねて喜びます☆★☆ Twitter/Facebookページも、フォローボタンから是非お気軽に(^ω^)