今日もママに合掌。

子どもをどう育てたいか考える前に、自分の育ってきた環境を振り返ってみる

time 2016/10/27

子どもをどう育てたいか考える前に、自分の育ってきた環境を振り返ってみる

3歳の娘と1歳の息子を育てています川北ベッソンですこんにちは。
1歳息子はやっと人間らしくなってきた所なのでまだまだですが、3歳娘はもう随分と「性格」というものがはっきりしてきた様に感じています。

子育てに正解がないって、本当に悩ましい。
なので自分が子どもをどう育てるか考える前に、自分がどう育てられてきたのかを振り返ってみました。

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小学生時代

小学生の時には自分の父親が監督を務める少年野球チームに入っていました。
全道大会で優勝し、全国大会出場の為、東京に行ったのが初めての飛行機です。

小学生の頃の記憶は野球しかありません。
卒団するまでは、毎日かかさず素振り200回。
練習用に特設された自宅の車庫でトスバッティング。
朝連、夕練、土日と、学校以外ほぼすべての時間を野球に費やしていました。

父親である監督に怒鳴られる、殴られる、蹴られるなんて事は当たり前の練習風景です。
私の父親は、少年野球の世界では有名な鬼監督。
チームとしての成績は大変優秀でした。

今でもバッティングセンターに行けば120キロくらいの玉なら余裕で打てます。(次の日筋肉痛)
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小学生時代、野球をやっていた頃は父親が怖くて怖くてたまりませんでした。
試合で結果が出る喜びはあったし、努力の結果が優秀な成績として残った事は今でも良い思い出ではあるものの、
心のどこかで「やらされている感覚」があったと思います。

中学生時代

中学では野球部入れないしソフトボール部は人気がなくて廃部になるしって感じで困りましたが、姉がバスケ部だったのでバスケ部に入部。
慌ててスラムダンクを読破し3年間やり切りました。

中学でバスケ部に入ったのは正解でした。
全く新しい競技を、自分の頭で考え、自分がやりたいからやっていた。
純粋に、楽しかった。
成績優秀な訳ではなかったけど、自分の力でやりきった事が大きな自信となりました。

だからこそ自分で、
高校はもう一度野球がやりたい。
ソフトボールの強豪校に行こう。

そう思えたんだと思います。

ここまではただのスポーツマン人生でしたが、部活が終わり進路について親に相談し始めた事がきっかけとなり、一気に病んでいきました。

私と父親の気持ちのすれ違い

ソフトボールの強豪校に行くつもり
そう伝えると両親はとても喜びました。
特に父親は、ソフトボールの強い高校を調べたり、野球との違いを調べたり、
私がやるよりも先に、次々と私に色んな情報を与えてきました。

私が行くと言った高校とはまた別の、ソフトボール部の練習まで、父が調べて参加したりしました。

私がソフトボールをやるのが本当に嬉しかったんだと思います。
どうせやるなら手伝ってあげたい。
そう思ってくれたんだと思います。

私も最初は嬉しかった。
こんなに喜んでくれて、期待にこたえたい。
私のために、父も協力してくれている。
頑張ろう。

でもそれがどんどん、
頑張らなきゃいけない。
期待にこたえなきゃいけない。
やらなければいけない。

と、小学生だった頃の感覚に近付いていきました。

父親に意見する事ができずに全てから逃げた自分

こんな時、普通の親子関係なら
自分で決めるから放っておいて。とか、言うもんなんでしょうか。
うざいから口出ししないでよ。とか、言うもんなんでしょうか。

私にはそれが言えませんでした。
私にとっての父親は、監督だったから。

私は自分で考えて進路をきめ、自分で望んでソフトボール部に入り、自分の力でやり遂げたかった。
中学時代に野球から離れていた私では、たとえレギュラーになれなかったとしても。
甘かったと思い知らされる事になっても、自分で決めた事なら良かったんです。

父の言う通り、
高校入学までにソフトボールの練習を熱心にこなせば、
野球から離れていた分を死ぬ気で練習して高校入学までに備えれば、
私は高校で良い選手になっていたかも知れません。

私は運動神経が良い訳じゃないけど、そう思わせるくらい、父は優秀な指導者です。

でも、私が望んだのはそんな事ではありませんでした。
ただ、自分が選んだ道や努力を、見守ってもらいたかった、それだけです。
自分で決め、努力し、やりきる姿を、父親に認めてもらいたかったんだと思います。

自分で決めて頑張るから、信じて見守ってほしい。

そう言葉でいえば良かっただけの事かも知れませんが、うまく父に伝える事ができませんでした。
言った所で父は理解してくれる訳がないと諦めていたのかも知れません。

今思い返すと
当時は自分でも、自分の気持ちをうまく言葉にできず苦しんでいたと思います。
結局は、
ソフトボールなんてやりたくない。
そう思うようになりました。

新たに見つけた目標を見失い何もできなくなった

やっぱりソフトボール部に入るのは辞める。
高校は部活しない。

そう言うと父は怒りました。
お前にはガッカリだと。
最初からそんな程度なら、期待させるような事を言うなと怒鳴られました。

それから私は学校にも行かなくなりました。
部活もないし、行きたい高校もないし、行く意味がないと思っていました。

中学の部活が終わってから卒業まではほぼ不登校。
行っても保健室で寝ていたり、本を読んだり。
進路を考えるのも嫌になり、高校にも行かないと言う様になりました。

父の期待を裏切りたかった訳じゃない。
感謝していたからこそ、自分の本心を伝えられなかった。
喜んでくれて嬉しかったからこそ、期待にこたえられない自分をだめな人間だと思った。
でも、自分の事を信じて、見守ってほしかったんです。
お前ならできる。頑張れと、父に言って欲しかったんです。

学校に行かないというのは、私の初めての反抗であり、
自分の考えを断固として曲げない父親への精一杯の抗議でした。

死にたいと思い不登校に。今も消えない父への恐怖心と反抗期について

高校生時代

両親は180度変わってしまった私に対し、やりたくないなら部活なんてやらなくていい。
自分が好きなようにしたらいい。
追い詰めてしまって悪かった。そう言いました。

悩んだ末、とりあえず高校は行く事にしました。

ソフトボールの強豪校に行こうと思った道は全て投げ出しました。
高校で部活はやらずに毎日ただ遊んで過ごし、真面目にスポーツをやっていた自分とは一転、ただの不良になりました。

高校時代はほぼ家に帰った記憶がなく、高校でできた新たな友達の家に居候状態。
その友達の両親は、私が居候状態な事に何か問いかけてくるでもなく、友達に何か言うでもなく、いわゆる放任な家庭でした。

その友人と何日も家を空けても、特に何も言われない。
あら、帰ってたの。そんな感じでした。
こんな家庭もあるんだなと、自分の家とのギャップに驚きました。

家族には本当に、心配をかけ続けました。
帰ってこいと言えば言う程家に帰ってこなくなる私に対し、両親は何も言えなくなりました。
たまに顔を見せに帰ると、良かった、元気にしてるのか、いつでも帰っておいでと言う様になりました。

卒業間近で登校日数が足りてない事が判明するものの、心療内科に通院し自律神経失調症という病名がついていたので特別補習授業を行ってもらえて免除。
無事に高校を卒業しました。

子育てはストイックにならざるを得ない

私にとって何かをストイックにこなすという事は、精神状態を保つ材料になっています。
それが持って生まれた性格なのか、幼少期にストイックな状況で野球を続けていたからなのかはわかりません。

少なくとも、目標もやりがいもなく日々自由に、好き勝手に生きていた頃の自分の精神状態は、安定していたと言えるものではありませんでした。

子育てって、どんなに楽をしようとも、ストイックにならざるを得ないものなんだということは、出産をして初めて知りました。

子どもを産み育てるのは大変だけど、自分がこんなに子育てを楽しめる人間だとは思いもよりませんでした。
深く考える性格は変わらないので、悩みは尽きませんが。

子どもがいると制限される事はたくさんあるけど、限られた条件の中での楽しみを見つけたり、何より子どもの成長という目に見える喜びを日々感じられる。

自分が親になった事で、自分の親へも本当に感謝する事ができました。
そして
父親という絶対的な存在ではなく
今は夫という対等な人間が一緒に子どもを育ててくれています。

自分が乗り越えるべき父親という存在

自分が父親にされて嫌だと感じていた事を、我が子にしてしまっていないだろうか。
そう思い悩む事がたくさんあります。

私にとって「親に怒られる」って、どんな事だったのか。
それは必要な事だったのか。

自分が娘を怒っている時。
イライラしている時。

自分は父親にそっくりなんじゃないか。
自分の娘も、自分と同じような人生を歩むんじゃないだろうか。
怖くてたまらなくなる事があります。

感情に負けて言ってあげられなかった、私と言う心の弱い母親の話。


でもそうはならないように、子どもではなくて自分を変える。
それこそが、私が親から与えられた課題であり、
自分で乗り越えるべき父親という存在なんだと日々思いながら子育てをしています。

私がそうだったように、子どもは親の言う様になんてなりません。
親にできるのはただ見守る事ぐらいだし、
見守られているという安心感こそが子どもを自由にし、子どもの心を強くすると思っています。

父親を全否定するわけじゃありません。
怖い父親ではあったけど、
私が助けて欲しいと言えば何があっても助けてくれるだろうという絶対的な信頼がありました。
怖くて真っ向から戦えずに、逃げ回った私の反抗期も、両親は賢明に受け止めてくれました。

子育てに正解がないって、本当に悩ましい。
ただ私は、
日々正解を探しながら頭を悩ませ、子どもを思う事。
自分自身を見つめ直す事。
その事自体が正解であって欲しい。

そう思いながら子どもを育てています。

子どもの育て方に日々悩み、頭を抱えるママに今日も合掌。

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自己紹介

川北ベッソン

川北ベッソン

心理学オタクの川北ベッソンはいつもママの味方。 ガサツな神経質。 マイペースで頑固。 日々の家事育児をこなす偉大なママに、敬意を込めて合掌を。                     ☆★☆イイネ!と思える記事があればSNS等でシェアして頂けると、跳ねて喜びます☆★☆ Twitter/Facebookページも、フォローボタンから是非お気軽に(^ω^)



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